●ひずみ その2
なぜ、その時「人選」だけにこだわったのか。
それは昨夜パートナーのG氏からメールが入り、「あの話を聞いてから、S先生が羨ましくてたまらないんです。ぜひ一緒に私も働かせてください」と言ってきたからであった。
彼はパートナー養成講座の卒業認定をするかどうか最後まで迷ったメンバーだった。また、H先生を捕まえると質問攻めにする。私からはとても依存心の強い人物に映った。
サポートする側にそのような人間がいるとクライアントのサポート以前に社内のサポートに振りまわされると思った。
体制が整ってからならまだしも、立ち上げ時期には遠慮願いたいと思ったのであった。
最初は本心を伏せて、立ち上げ時期は私一人でやらないと経費ばかりかかるからと丁寧に断りのメールを書いた。
しかし、何度も執拗に「それでもお願いします。ぜひやらせて欲しい」とのメールが入り、そのうち彼のメールが「なぜだめなんだ」と怒りに変わり、私に対する批判のオンパレードが始まった。
これではまずいと思い、彼に電話をして正直に本心を話した。
それでも怒りをぶつけてくる彼にとうとう私も堪忍袋の緒が切れた。
「だったら私が身を引きますからGさんがやってください。
そこまで信頼していただけないのであればパートナーとしても一緒にやっていくことはできないと思います。
私が辞めるかGさんが辞めるかどちらかでしか、この問題は解決できないでしょう」
これは言ってはいけない一言だった。
彼のトラウマである親からの「見捨てられ感」をフラッシュバックさせてしまったのだった。
彼がうつ病になってしまったと聞いたのはそれから一ヶ月後だった。
しかしこの時は私が原因だとは知らなかった。
連絡が入って直ぐに新幹線で彼の元に駆けつけた。
事業がうまく行ってないことや奥さんとの不仲で参ってしまったと聞いていたので、彼の共同経営者や奥さんと話し合った。
ひとまず方向性が見えたのでH先生に電話でのカウンセリングを定期的にお願いし、パートナーとしての仕事はゆっくり休養をとってから再開すれば大丈夫だからと安心させて帰途についた。
それから3ヶ月後、彼から電話があった。
「S先生、おかげでだいぶ良くなってきました」
「それはよかったです。でも、まだまだ無理をせずにゆっくりやってくださいね」
「はい、ありがとうございます。実はS先生はもう気づいているでしょうが、うつになったのは母親との関係が原因とわかったんですが、でもS先生のあの一言が引き金だったんです」
長い沈黙。
そしてやっと出た言葉。
「そうだったんですか・・」
としか言えなかった。
Gさん、本当にごめんなさい。全く気づいていませんでした・・。
年末、その年最後のパートナー会議。
Gさんも参加しており、ある程度回復したように見えた。
ただ、K氏と話し合い、彼にはまだまだパートナーコンサルタントとして最前線は無理だと判断した。
そこで、当面は彼の本業を生かしたデータベースソフトの作成を依頼することにした。
また価格戦略の研究とそのソフトの開発、パッケージの開発を依頼した。
それで彼の経済面のサポートと面子を保てるとのK氏の配慮だった。
それも彼にはショックだったのだろう。
また「見捨てられ感」を蘇らせてしまったのかも知れない。
翌年の春先、彼は自ら命を絶ってしまった。
彼の生前、最後に耳にした言葉は今でも時々、私の胸の中でこだましている。
それは、大変小さいものであるが、いったん静寂に包まれるとエコーのように、私の胸を震わせる・・。
それは、大変小さいものであるが、いったん静寂に包まれるとエコーのように、私の胸を震わせる・・。
「S先生、どうか素晴らしい会社にしてください。そして、みんなが笑って過ごせるような世の中に、どうかしてくださいね。」
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