●そうですか、わかりました
それから数ヵ月後、募集を始める3カ月前のことだった。
「Sさん、このコンサルタント養成プロジェクトは育てるだけでなく、その後もウチの看板を使われるわけですから、責任を持って慎重に運営していかなければダメだと思うんですよ」
「ええ、もちろん、そのためのルール作りも今やっています」
「そこで募集はやっぱり10人ぐらいが適当だと思うんです。信頼の置ける人を厳選し、少数精鋭で行きましょう」
「そうですか、わかりました」
やはり、話半分、いや10分の1だった。
ただ、K氏の言うことも当然だし、彼の顔を潰すわけにも行かない。
それでも1千5百万円の仕事である。
話が違うと私が反論できるわけがない。
私は滅多に目上の人には反論しない。
特に期待を裏切られたときなどは、その理由も相手に聞かない。
『そうですか、わかりました』
私はよくこの言葉を口にしているようだ。
なぜ私はこの言葉をよく口にするのだろう?
確かに人の期待に応えてあげたいという気持ちも誰よりも強いと思っている。
また、出来ない、無理だと反論する前にまずやってみようというポジティブシンキングが必要だとも考えている。
でもそれ以上に思い当たるのは継母の口癖だ。
「口答えするな」
そう言われて育ってきた。
いや体に刻まれた。と言った方がいいのかも知れない。
私が何かをしているとき、いきなり後ろから平手打ちが飛んでくることがよくあった。
なぜ、叱られるのかもわからず、先に体罰がやってくる。
その後に怒鳴られ、やっと理由がわかる。
時として思い当たらないこともあったり、彼女が勘違いしていることもあるのだが、抗議しようものなら、「口答えするな」と彼女の怒りを買い、さらに体罰はエスカレートした。
私が悲鳴を上げ泣き出すまで、平手が布団たたきに代わり、部屋の隅に追い込まれるのである。
このような経験が異論、反論は痛みを伴うと無意識に感じてしまうのかも知れない。
どうせ自分の話は聞いてくれないと考えるようになったのかも知れない。
100人が10人、1億5千万円が1千5百万円。
それでも大きな仕事であり、それ以上にこの人と一緒に仕事が出来るという喜びがあった。
しかし、ここで100人体制と10人体制では企画内容が変わってくる。
それまで将来100人体制を踏まえての事業計画を私なりに練ってきた、その時間が全くの無駄になったのである。
そのことに対して一言も抗議しない姿勢、ある意味イエスマン的な態度が相手に印象づけられたとき、その後の展開が大きく変わっていくのである。
とはいえ、このK氏の判断力、いい意味での身代わりの早さが、彼のビジネスでの成功の最大要因であることも間違いない事実なのである。
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